不思議なシタール

 Anjali Indian Musicのロゴとしている上記の写真↑は、デオプレアグ村という、アラクナンダ川とヴァギラティ川(ガンゴトリーに源を発している)の2つの源流が合流する場所にある天文台の主人から頂いたもので、「サラスヴァティ」というヴィーナを奏でる学問と芸術の女神。日本に渡ってきて、「弁財天」として日本の人たちに信仰されている。

 その主人は占星術の大家でもあり、またインド音楽についても深い知識を持っておられて、インド音楽にまつわる古代の話まで詳しく教えてくだっさたりもした。

 その中で僕が特に興味を持ったのは、音楽を使った古代の治療の話しだった。

彼は「インド音楽の持つ不思議な力は、まさにマントラ(真言)の持つ力と同じなんですよ」と前置きされると、話を始められた。

 ラーガという音階の音の配列は、決して偶然に生まれたのではなく、長い時の流れと歴史の中で必然的に生まれたものだという。そして個々のラーガの持つ決められた時間に、正確にそのラーガを奏でると自然界(人間も含む)に本来あるべき調和がもたらされ、逆に時間を無視して不正確なラーガを奏でた場合には、不調和を起こしてしまうのだとも言われた。

 その話を聞きながら、おそらく古代人たちは心身ともに純粋無垢であり感受性も相当豊かだったのだろうと、想像した。時代が流れて現在に近づくにつれて鈍感になり、自然に対する感謝を忘れてしまった現代人には、こんな話が通じるのかどうかは、僕自身にも何とも言えないのだった。

 まあ単純に考えても、インド音楽に限らず、どんな音楽でも、それが洗練された技術とプレイヤーの熱い心が備わっていれば聞き手を心地よくさせてくれるし、逆に、技術だけとか思い入れだけが先行した演奏やそのどちらもが欠如した演奏は、聞く人の心に届くどころかいらいらさせてしまうことがあるのは確かだ。どちらにせよ、古代からそういう研究がなされて、しかもしっかりと確立させてしまったインドという国の奥深さに、改めて驚き、ますますインド音楽の魅力に引き込まれていくのだった。

<ヒーリングミュージック>

 最近、花などの植物や様々な野菜に音楽を聴かせて、どういった影響を及ぼすかという研究があるそうだ。酒造りなどにも応用されているという話を耳にされた方も少なくないかも知れない。西洋のクラッシックやジャズ、ロックやブルース、ポップスなどあらゆるジャンルの音楽を聴かせ、その成長ぶりや味などを見るのだが、そんな中で植物や野菜をいちばんリラックスさせ、その成長を促すのがインド音楽だという研究結果が出ているらしい。

 そんな不思議とも思える力は、僕のようにまだまだ未熟な演奏家の音にも宿ることがあるようで、コンサートに来て演奏を聴いていただいた方々の中にも、ステージを降りた後の楽屋などに、「腰痛が消えました」とか「肩こりが治りました」などと、わざわざお礼を言いに来て下さる方たちがいる。信じられないような話かも知れないが、事実で、むしろ当然と受け止めた方が自然なのかも知れない。

 日本でも、ヒーリングミュージックなどという表現を目や耳にされたことはないだろうか?いわゆる「癒しの音楽」というもので、それを聴けば心身ともにストレスから解放されていく・・というものだ。

 インドでは、数千年も前から音楽の持つ治癒力の研究がなされ、しっかりと体系化されて受け継がれてきていて、それはシタールに限ったことではなく、インド音楽すべてに共通している。

 以前、あるFM局のラジオ番組に出演してシタールを演奏したことがあった。番組終了後、スタジオの向こうのミキシングルームにいたミキサーの方が、僕をやたらと不思議そうに見ているので、そのわけを尋ねてみたところ、彼は真顔でこんなことを言った。

 「アナライザーを見ていれば、それが肉声なのか楽器なのかは一目瞭然なんですよ。ところがあなたの弾いたシタールという楽器の音が、なんと人間の肉声とまったく同じ波長を示し続けていたんです。こんな不思議な楽器は初めてです

 

 ラーガの中には自然界の動植物に対して強く影響を及ぼすと言われているものもある。僕の部屋には、ヒマラヤ山中でビーンを奏でる若かりし頃のスワミジの写真が飾ってあるが、その写真の中のスワミジのすぐ横に野生の鹿が寄り添っていて、彼の奏でるビーンの音色に酔いしれているような様子が写し出されている。

ヴィーナマハラジ

ヒマラヤ音巡礼―シタールに魅せられて

 

不思議なシタール・補足

 ある年のお正月、お寺の本堂でシタール『新春コンサート」をさせていただいた。その頃、私は目の疲れがひどく長い間目を開けていられないほどだった。シタールの音色が流れはじめてから、どれほどの時間が経ったのだろうか・・10分か20分か・・

 突然、私の眼底がものすごい力で引っ張られはじめた。何が起こったのか!私は分けがわからずに少しパニックになり、それでも途中でタンブーラを弾くのを止めてコンサートを中断するわけにはいかない・・そう自分に言い聞かせていた。

 そうした私の中で起こったパニックの間も、眼底から眼球を引っ張り出そうという得体の知れない力はますます強くなるばかりだった。

 ・・そして・・その大きな力もなすべき仕事を終えたのだろうか。突然、引き潮のように私の目の中から消えていった。と同時に、目を開けていられないほど疲れていた両目の疲れも消えていたのだった。

 やはりインド音楽には素晴らしい不思議な力があるのだと、それ以来、密かに確信することにした。  (伊藤美郷)