<ナーダヨギ生活>
僕は最後の巡礼者が帰るとすぐ、緊張しながらスワミジの前に出て,巡礼者がやっていたのを真似て彼の前に跪いた。床すれすれまで頭を下げた後、ゆっくりと頭を起こして、彼の目を見つめた。そうしてスワミジを見つめる僕の目も、今までの巡礼者たちと同じものだったに違いなかった。
彼の目は近くで見ると、よりいっそう威厳に満ちて輝いていた。
「あなたにシタールを習いたくて日本からやって来ました。どうか、お願いです、僕にシタールを教えてください」
頭の中は、スワミジの姿を目にして以来、極度の緊張のためカラッポで、どういう風にお願いすればいいのかなど何も考えていなかった僕の口から出た言葉は、これが精一杯だった。
スワミジはしばらくの間、黙ってじっと僕の目を見つめておられた。
スワミジの口からどんな言葉が返ってくるのか、ドキドキしながら待った。彼はビクリとも動かず、僕にとっては途方もないほどの長い時間だった。
やがて彼の口が開いた。そして「明朝6時に、ここに来なさい」とだけ言い残されると、ゆっくりと立ち上がられ、部屋を出ていかれた。それはインド訛りのあまりないとても流暢な英語だった。
次の朝早く、沐浴をしてから温かいチャイを1杯のみ、5時半頃には寺に向かった。途中のバザールは、まだほとんどの店が開いておらず、人通りもない。冷えきった空気の中を昨日とはうって変わり人気のない寺に向かって、ゆっくりと歩いて行った。
冷たい石畳の道の感触を足の裏に踏みしめながら、これまで自由気ままに生きてきた自分自身の中に、今までとは違う変化が起こっているのをはっきりと感じた。
↓夕方のサットサンガで演奏されたスワミジのルドラヴィーナの音源です。(1962年)
Sounds of Yoga-Vendanta:A documenttary of Life In an Indian Ashram
Evening Satsang: Swami D.R.Parvatikar on Rudra Veena
スワミジは黙って僕の目をじっと見つめておられたが、しばらくして静かに口を開かれた。「なぜここに来たのか?」とまた英語で優しく尋ねられた。
僕は、もう無我夢中で、しかも失礼にならないように気をつけながら、ここに来るまでのいきさつ・・ジョシマットにいる友人からスワミジの弾かれるヴィーナのカセットテープをもらって聴いたこと、ヨギでしかも音楽家というスワミジの生き方にたいへん興味を持ったことなど・・を話した。
そして最後にゆっくりと深く頷かれ、「シタールを習得したいのならば、毎日少なくとも12時間は練習しなさい」と言われた。そして、弟子を促して楽器を手にされ、1つのスケール(音階)を示された。
実はその時の僕はシタールに関してはほとんど知識がなかったのだが、スワミジは僕のシタールに対する意気込みと熱意を、しっかりと汲み取ってくださったのだ。
こうして弟子入りを許され、ヴィーナ・マハラジのもとでのシタール修行がスタートした。それからは毎日朝6時から9時までと、夕方6時から8時までは必ず練習を見てくださり、時々は午後の昼下がりにも、顔を出して教えてくださったのだった。毎日2回寺を訪れながら、そしてそれ以外の時間は自室で、その後1年間というもの、来る日も来る日も、ひたすら同じ練習に明け暮れた。
スワミジは僕に毎朝ヨガアサーナをするようにと言われた。だから毎朝の練習が終わって、いったん寺から帰る途中で、アラクナンダ川の岸辺に座り、ヨガアサーナをするのが日課となった。
1965年ベトナム戦争が起こり、しだいに反戦の渦が大きなうねりとなって世界各地へ広がった。そしてこの渦は様々なかたちで浸透していった。たとえば西欧の若者たちは、彼らが慣れ親しんだ価値観とは別の未知のものを求め、アジア、特にインドへと放浪の旅を続けていった。
僕はまだ日本にいたが、インドを旅した友人と知り合い、その渦の中へと巻き込まれてゆき、いつしかインドへ旅立ちたいと思うようになっていた。
初めからナーダ・ヨギの弟子になろうと思っていたわけではないのだが、インドの神々の見えない糸に引かれてスワミジのもとへとやって来たのは、確かに必然的なことだったのかもしれない。
スワミジのヨギとしての献身的な生き方は様々な場面で感じることができた。スワミジの、全てを神に捧げる生き方の根源にあるものは何なのか、僕はすごく興味があった。
そしてそれを知ることができた時には、目の前にはまったく違う世界が広がっていくのではないかと思いながら、スワミジの弟子としての生活を送っていったのだった。
☆バドリナートのスワミジ(ナーダヨギ・D.R.Parvatikar)へ弟子入りした5年間のことを書きました。ヒマラヤ音巡礼―シタールに魅せられて
スワミジ・ヴィーナマハラジ(Veena Maharaji)が建立した寺院ラーガベンドラ・スワミミッションから写真を転載。
インドの人々はスワミジを「ヴィーナ・マハラジ」と呼び、偉大な聖者として崇めていた。スワミジは、インドでももうほとんどいなくなったナーダ・ヨギだった。スワミジの崇拝者の中には、音楽家や、大学教授や、内務大臣やインドの大財閥の一人ヴィラもいた。バドリナートにはインド中からスワミジに会いに多くの人々がやって来ていた。
Nadayogi veena maharaj with Dr.Rajendraprasd – president in 1957(首相にスヴァラマンダラの説明をされているスワミジ)
Founder Nadayogi in his Sadhana on Dattatreya Veena
Swami D.R.Parvatikar on Rudra Veena: Religious Music of India
Raga Karmavardhani 1952年
Swami D.R.Parvatikar on Svaramandala: Treasures of India
スヴァラマンダラの演奏です。写真はダタットレヤヴィーナを演奏しているスワミジです。
1950年の録音です。
こちらはスワミジの考案された楽器ダタットレヤヴィーナの演奏です。
こんな夕暮れに Anjali Band 2017/5/27@相模原
公朗の師匠ヴィーナマハラジから受け継いだメロディーにインドの農村風景(日本の山里にも繋がり)を歌います。インドの詩人ラビンドラナート・タゴール、「園丁」から。
スヴァラマンダラ:伊藤公朗、ヴォーカル:伊藤美郷、ギター&コーラス:伊藤快